小倉百人一首の紫式部の和歌とその現代語訳・解説を書いたページです。 優れた歌を百首集めた 『小倉百人一首』 は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の 藤原定家(1162-1241) が選んだ私撰和歌集である。
小倉百人一首の歌人の短歌・和歌集では、小倉百人一首の登場人物である紫式部の歌「めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし夜半の月影」の意味を、現代語訳として解説・紹介しています。
紫式部(むらさきしきぶ)は、平安時代中期の作家・歌人、女房(女官)。 作家としては、日本文学史を代表する一人。 正確な誕生年は特定できないが、近年の研究では、天禄元年(970年)から天元元年(978年)の間に生まれ、寛仁3年(1019年)までは存命したとされる 。
紫式部の歌で有名なのが、こちらです。 「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな」。 現代風に意味を説明すると、「久しぶりに会うことができたのに、それがあなたかどうかわからないうちに帰ってしまうなんて。
紫式部の残した歌(『紫式部集』とその補遺)を自分なりに解釈したものです。 凡例 1.本文中の紫式部の和歌は『全評』に依拠した。ただし、補遺の歌順は一部変更したものがある。 2.【語釈】は解釈上、諸説あるものを主とする。
この歌にはそうした背景があります。 歴史に残る越前の国は、今の福井県東北部。東を加賀の国と接しており、古くから開けた土地です。紫式部の父、藤原為時が赴任したのは、現在の武生市。
紫式部は、公務員の娘ということも影響してるのか、宮廷にいた女性には珍しく、恋少なき女性でした。 歌を詠むと、大半の歌人は恋に関する歌ばかりですが、紫式部は、友達のことなど、実生活で起きたことを何かに例えて詠む、クールな歌人だったよう ...
百人一首の和歌の紹介をしています。このページでは歌番号57番・紫式部(むらさきしきぶ)の和歌を紹介しています。また、百人一首の和歌は、歌番号のほかにも作者別や上の句・下の句などでも検索して調べることが出来ます。
それらを描きながら「生きる意味」を追い求めたと思わずにいられません。 “いずくとも 身をやるかたの 知られねば うしと見つつも ながらうるかな”(紫式部の自撰歌集・最後の歌) (どこに向かって生きればよいのか、私は知らない。
紫式部の「めぐりあひてみしや。。。」で始まる歌を教えて下さい。 頂き物の壁掛けにある歌の意味を知りたいのですが、字がいまいち不明瞭で読めません。いろいろ調べたところ、「めくりあひてみしやそれともわかぬまに.雲かふれにし夜半の月かけ」に出だしは似てるのですが、みしや ...
The right to do something does not mean that doing it is right.
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