· 清少納言はどんな顔だったのか? 清少納言の容姿に触れた言葉. 枕草子にこんな記述があります。 まろは、目はたたざまにつき、眉は額ざまに生ひあがり、鼻は横ざまなりとも、ただ口つき愛敬づき、頤の下、頸清げに、声にくからざらむ人のみ思はしかるべき。
· 「清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人」。 これは紫式部が清少納言を評した有名な言葉です。これは紫式部が書いた日記『紫式部日記』の記述。「清少納言って本当に得意顔で偉そうな人」という言葉から始まり、一切ほめることなく清少納言こき下ろされています。
· 紫式部の顔を3dソフトで復元. それでは、紫式部の顔(すっぴん)を復元してみます。 これまでの考察をまとめると・・ 長めの鷲鼻で鼻先が下を向いている; 尖り気味のシャープな顎; 黒髪の長いストレートヘアー; 切れ長の細い目; 小さめの口; ということに ...
· 紫式部と清少納言の顔を描き分けるコツを教えて下さい。 清少納言は学識のある家系出身で、知性高く、枕草子の中で自分の容姿や髪を自虐ネタで書くような、開けっぴろげな性格の女性。年増で髪が縮れて、かもじ(ウィッグ)を使っていると堂々と書いているようです。紫式部は下級貴族の ...
· にも関わらず、『紫式部日記』では清少納言を「得意顔」と猛烈バッシングをしています。 『紫式部日記』では「得意顔」だけではなく、「現実 ...
清少納言と紫式部は、宮中にいた期間が重なっていません。つまり、宮中で顔を合わせることはなかったのです。清少納言が仕えた定子は藤原道隆の娘ですが、関白の藤原道隆が亡くなると、定子の兄、弟が左遷されます。
(清少納言といえば、得意そうな顔をして我慢のならない人。 ... 紫式部が清少納言にライバル心を燃やす理由は、一条天皇の二人の后にそれぞれが仕えていたという立場上の問題が関係します。 ...
紫式部は、清少納言と直接には顔を合わせたこともありません。 それにもかかわらず清少納言を快く思わなかったのは、彼女の著書『枕草子』の存在が関係していました。
紫式部(むらさきしきぶ)は、平安時代中期の作家・歌人、女房(女官)。 作家としては、日本文学史を代表する一人。 正確な誕生年は特定できないが、近年の研究では、天禄元年(970年)から天元元年(978年)の間に生まれ、寛仁3年(1019年)までは存命したとされる 。
同時代に活躍しライバルでもあった「源氏物語」の作者・紫式部が日記で「自分は他人よりも特別優れていると思い込んで、得意顔で偉そうに振る舞っている痛い人」と清少納言をこき下ろしているように、多少、才気走るゆえに性格に難があったのでは?
Do all you can and trust God to do what you cannot.
‹ | › | |||||
Mo | Tu | We | Th | Fr | St | Su |